リプリー(主演マット・ディモン 監督アンソニー・ミンゲラ)

リプリー(原題The Talented Mr.Ripley 1999年 アメリカ映画)

当たり役となった「ジェイソン・ボーン」シリーズ前のマット・デイモンの主演作。この人を見るとジミー大西さんを思い出す私ですが、演技の幅の広さは香川照之さんといったところでしょうか。ジュード・ロウとグウィネス・パルトローが優雅なハイソカップルというハマリ役で共演しています。初見は字幕で確かNHKBSで見ましたが、このご時勢にマズい表現でも見つかったのか現在Amazon Prime Videoの配信は吹き替え版のみのようです。

この映画には1955年に発表された原作小説(タイトル同じ、邦題「太陽がいっぱい」パトリシア・ハイスミス著)があり、

その原作を元に1960年に映画化された「太陽がいっぱい(原題Plein Soleil 、主演アラン・ドロン)」という往年の名作もありますが、本作はそのリメイクではありません。

イタリアで遊び暮らす金持ちのドラ息子と、その父親に依頼されて帰国の説得に訪れている貧しいアメリカ人青年がいます。やがて青年はドラ息子を殺し、殺人を隠蔽するためとドラ息子の財産をを横取りするため、ある時は計画的にある時はやむを得ず犯罪をおかし嘘に嘘を重ねて・・・・という大筋は小説はじめ三作品同じですが、枝葉の部分はけっこう異なっています。大きな違いは主人公の性的志向にあって、小説および本作の主人公はゲイで、アラン・ドロン版にはゲイは登場しません。以下は大いにネタバレしていますので、未見の方はご注意下さい。

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1950年代のニューヨーク。賃仕事で糊口をしのぐ貧しい青年トム・リプリー(マット・デイモン)に願ってもいない話が舞い込む。きっかけは知り合いの名門大学生の代役で、高級ホテルでピアノ演奏をしたことだった。トムを息子の同級生だと思い込んだ大富豪グリーンリーフ氏からの、イタリアで遊び暮らしている放蕩息子ディッキー(ジュード・ロウ)を説得し、アメリカに連れ帰ってくれれば礼金を支払うという提案だった。トムはディッキーに会ったこともないが、タダでヨーロッパ旅行ができるチャンスをみすみす逃す手はない。ディッキーの顔写真を手に入れ、彼が傾倒中だというジャズについてもにわか勉強し、富豪がはからってくれた一等船室の船旅でイタリアに向かう。

ディッキーが暮らす海辺の田舎町モンジベロ。トムはディッキー(及び半同棲状態の恋人マージ:演グウィネス・パルトロー)に偶然の再会を装って近づく。全く見憶えはないけれどジャズの話が通じるトムをディッキーが気に入り、ライブハウスに連れ回して二人は急速に打ち解ける。トムはディッキーに誘われ彼の屋敷に滞在することに。ディッキーは帰国する気はさらさらないけれど、説得されそうなフリをしてトムの滞在費をグリーンリーフ氏から延々と引き出し、それで高級車を買おうと言い出す始末だった。

何事も悪びれず好き放題に振る舞うディッキーにトムは強く惹き付けられ、やがて憧れ以上の気持ちを抱く。ディッキーのそばで金の心配をせず遊び暮らす生活を満喫するが、夢のような日々は永くは続かない。最初は新鮮だったトムの素朴さ(使用人に遠慮すること、金持ちの遊びであるヨットやスキーを全く知らないことなど)に飽きてきたディッキーは、本物の同窓生で気心の知れた旧友フレディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)と親しくつるみ始める。ショックを隠せないトムに、ディッキーが友だちに優しいのは最初だけ、飽きられたのはあなた一人ではないとマージがフォロー(?)するが、モンジベロのお祭りの日、ディッキーにもて遊ばれた地元の娘が妊娠を苦に入水自殺する騒動がおき、その秘密を恩着せがましく共有したトムを、ディッキーはあからさまに疎み始める。

ディッキーが依然帰国しないことに業を煮やしたグリーンリーフ氏から、これ以上の説得は不要(=もう滞在費は負担しない)だという手紙がトムに届く。これまで通りに「説得されかかっている」テイの手紙を出してもらい滞在し続けたいトムだが、ディッキーは「もう充分に楽しんだだろう」と冷淡で、モンジベロを引き払う気であること、引っ越し先に考えているサンレモで大規模なジャスフェスティバルがあるから一緒に行って、その旅行を区切りに帰国するようトムを促すのだった。

ジャズフェスの翌日。ヨットを係留できる屋敷を探すためレンタルしたモーターボートの上で「金を貯めて戻ってくるから、また二人で暮らそう」とディッキーに告白するトム。デ「いや何で?俺にはマージがいるだろ?」ト「マージには僕と住むって言えばいいじゃないか」デ「俺とマージは結婚するんだ」ト「結婚だって?君が愛しているのは僕だろ?」デ(ひたすらびっくり)ト「世間体が気になるならキョウダイっことにすればいいんだ」デ「はああああ???」というような噛み合わない痴話喧嘩というか押し問答の末に、トムはディッキーを撲殺してしまう。

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このモーターボート上でのやりとりには意表をつかれました。トムは何を根拠にディッキーも自分を愛していると思っていたのか???アラン・ドロンのトムにはゲイの気はなく、優位な立場をかさに着たドラ息子にひどい扱いをされた恨みや富裕層への妬みから計画的に殺害しますが、本作では喧嘩の延長のアクシデントです。マット・デイモンのトムは、自分には婚約者がいてアメリカで帰りを待っていると自作自演し、プレゼント選びをマージに相談したり「早く帰って来て」という手紙が来たとディッキーに見せたりもしましたが、ボート上でいつわりの仮面を捨てます。1950年代は今よりずっとゲイの男性は生き辛かったことは想像に難くありません。その上、前夜カマをかけられてディッキーの同窓生ではないこともバレていました。身分を偽っていたこと&ひた隠していた性向もさらしての必死の告白だったわけですが「気持ち悪い」と一蹴された上、「お前は寄生虫だ」「一緒にいても退屈だ」と全否定され、カッとなって衝動的にオールでぶん殴ってしまったのでした。

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遺体ごと沈めたモーターボートから泳ぎ逃げ、戻ったホテルのフロントでディッキーに間違われたことから、トムはディッキーに成りすますことを思い付く。元々形態模写は得意だった(父親グリーンリーフ氏の口真似を「つかみ」にディッキーに取り入ったほど)。手続きの代行や手紙の代筆をしてディッキーの筆跡や文章の癖も飲み込んでいたトムは、マージへの対策として「しばらく一人でローマで暮らす」旨のディッキーからの手紙を偽造し「僕ら、捨てられたみたい」とマージに手渡す。引っ越しを機に結婚を迫ったせいで嫌われたと思い込んだマージの女心を、巧みに「騒がず待つ」ほうに向けておいて、トムはローマに去る。

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にしてもジュード・ロウとマット・デイモン全然似てないよ!アラン・ドロン版の二人も似ていませんでしたが、あちらのトムはパスポートの写真を貼り替えるという現実的な対処をします。なのにマット・デイモンのトムときたら、髪型や表情をパスポート写真に寄せることでジュード・ロウに成りきるという無茶を(^^;)絶対無理、安藤政信とジミー大西くらい似てないんだから。アンソニー・ミンゲラ監督もさすがにこれだけでは苦しいと思った(?)のか、トムが化けたディッキーの身分保証をそうとは知らずにしてしまうのが本作のみのキャラクター、メレディス(ケイト・ブランシェット)です。富豪の令嬢メレディスはトムと行きの客船の中で出会い一目惚れ(何故?)、トムは行きがかり上グリーンリーフと名乗っていました。トムをディッキーと認識している唯一の主要登場人物で、このメレディスが物語に時折登場することで、トムは助けられたり危機に陥ったりと狂言回しの役割をにないます。ディッキー殺害後にローマでメレディスに再会したトムは、為替の換金というハードル高めのパスポートチェックを、その金融機関で何度も大金を引き出している金持ち娘のメレディスが一緒だったおかげで乗り越えます。

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ディッキーに成りすましアパートのペントハウスを借りて贅沢に暮らすトムのもとに、トムとも顔見知りのディッキーの友人フレディが訪ねて来る。ローマに住むフレディはディッキー・グリーンリーフが引っ越してきたと噂は聞くのに、その姿を誰も見ていないことを怪しんでいた。トムはとっさに自分も遊びに来ているだけで、ディッキーは出掛けた、その辺のレストランにでも居るんじゃないか?と追っ払おうとするが、管理人のおばさんがトムに「ディッキー」と呼びかけたことから、仕方なくフレディも殺害、彼の車に乗せて郊外に運び遺棄する。

ローマ警察の刑事がペントハウスにやって来る。死亡当日のフレディに会っていたディッキー(に成りすましたトム)を容疑者の一人と見ているのはあきらかな上、しばらく行動をともにしていた友人トム・リプリーの行方も追っていると告げる。事件に驚き訪ねてきたマージと刑事の前で鉢合わせる危機は回避できたが、ローマに長居は無用だった。トムはディッキーの置き手紙(モンジベロの娘のこと、フレディのことを懺悔し、財産を「本当の友人で世話になったトム」に譲るとする内容)を偽造し、マージを介して知り合った際、ビビビと来ていたピーターを頼ってベネツィアに逃走する。

トム・リプリーを探すローマ警察がベネツィアにやって来てトムは万事休す・・・・のはずがディッキー(に成りすましたトム)の逃走を許した担当刑事は解任され、あらわれたのは初対面の刑事だった。ペントハウスのディッキー=トムであることがバレずに済んだ上、ディッキーがフレディを殺害し行方をくらました(自殺した?)という置き手紙に沿って捜査は展開しているようだった。

教会で楽師を務めるピーターは、ディッキー失踪の責任を感じ混乱している(とピーターには見えている)トムに優しく寄り添う。束の間の平安を過ごすトムだが、息子の後始末のため父親グリーンリーフ氏が来伊し、ディッキーと近しかったマージとトムから話が聞きたいとベネツィアで会することに。グリーンリーフ氏は私立探偵を雇ってディッキーのイタリア国内での足跡を調査させており、失踪前日にディッキー(に化けたトム)が大金を換金していた事実が浮かび上がる。当日トムを為替換金所で見つけたマージは、金はトムが横領したのでは?と疑っているが、その夜自身がディッキーにプレゼントした指輪をトムの家で見つける。ディッキーがくれた、もらったことを忘れていたと言い訳するトムだが、「絶対に外さない」とディッキーが誓った特別な指輪だった。ディッキーはトムに殺されたのでは?とマージは疑い始め、翌日の会合の席でグリーンリーフ氏にチクる。私立探偵と話すようにとホテルルームに置き去られたトムは、今度こそ絶体絶命だった。

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映画の中で唯一人マージが真実に勘付いているのですが、恋人が殺人犯→失踪→自殺という気の毒展開ゆえのヒステリーと思われて、マージの主張に誰も耳を貸しません。マージもディッキーと同じく遊び暮らせる身分の人のようですが、愛するディッキーが自身も顔見知りの田舎娘と浮気していたこと、娘が妊娠を苦に自殺したことにもまったく気付いていない浮世離れ感に、グウィネス・パルトローの貴族的な容姿はハマっていました。原作小説ではトムと過ごすうち自身の内に潜むゲイの可能性に気付いたドラ息子が、それを打ち消すようにマージに急接近し、トムがマージを疎むという展開がありましたが、原作のマージは本作のマージの勘働きはなく、グウィネス・パルトローほどの容姿でもない設定だったのか「何か食べている時だけ機嫌が良かった」とヒドい描写をされています(^^;)

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絶体絶命を覚悟したトムに、私立探偵は意外な話を聞かせる。ディッキーは大学時代、女性を巡る喧嘩で相手を障碍者にした過去があった。ほとぼりを冷ますためにディッキーをヨーロッパに遠ざけたのはグリーンリーフ氏だったが、氏はディッキーが言動を悔い改めるどころか、爛れた生活の末にまた似たような男女トラブル(マージの取り合いでディッキーがフレディを殺したと氏は推測している)を起こし、やけになって自殺したのだろうともはや切り捨てて考えている。それを裏書きするように、モンジベロで自殺した娘が妊娠していたこと、ディッキー(と思われていたトム)がフレディの車のナンバープレートを外すのを見ていた人がいることを探偵は調べ上げていた。ナンバープレートはディッキー(=トム)が隠したトランクから回収、この会合のあと運河に捨てる手筈だと探偵は明かし、併せてトム・リプリーがプリンストン大の学生ではなく、音楽学部の雇われ調律士だったことも調べがついているとした上で、ディッキーの不名誉な全ての行状についての口止め料として、これまでディッキーに毎月振り込んでいた金を今後はトムに与えるとのグリーンリーフ氏からの条件を示す。トムが断るわけもなかった。散会時マージはトムに「あなたがディッキーを殺したのよ。トムが犯人よ」とつかみかかるが、やっぱり誰も真に受けなかった。

ピーターとともにミラノへ船旅中のトム。やっと巡り逢えた心優しいパートナー、意に添わない仕事をせずとも毎月振り込まれる大金。望んでいた幸せを噛みしめるトムの前にメレディスがあらわれる。親戚たちと旅行中のメレディスは途絶えてしまった新聞報道通り、ディッキー(だと認識している目の前のトム)がフレディを殺し失踪したと思っており動揺しているが、トムは自分は警察の保護下にあって、真犯人をおびき出すために行動しているんだとアホのメレディスを騙す。メレディスは今だディッキー(=トム)への未練を隠そうとせず(とにかく何故?)、逃げ場のない船上であいさつ程度のやりとりでは済みそうにもなかった。メ「そう言えばピーターと一緒なの?彼を見かけたと連れが言ってたの」ト「いや、一人旅さ」

船室に戻ると、トムがメレディスを宥めるため口づけするところを目撃してしまったピーターが、穏やかな彼には珍しく君の気持ちがわからないと不満げだった。焼きもち、仲直り、恋人どうしの会話が交わされるうち、やがてピーターの苦しげな声が聞こえてくる。。。

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ラストシーン。ピーターの姿が消えた船室で、虚空を見つめるトムの暗い目には何が映っていたのでしょうか。愛する人と大金を手に入れ有頂天になったとたん、奈落に付き落とされる最後はアラン・ドロン版と同じと言えば同じです。アラン・ドロンのトムは(おそらく)逮捕され、マット・デイモンのトムは捕まりこそしませんが、この先巡り合えるとも思えない相思相愛の人を自ら手にかけるという、地獄のど真ん中に足を踏み入れたわけです。パトリシア・ハイスミスの「トム・リプリー」を主役とする犯罪小説はこの後も何作か発表されていて、どちらが原作に相応しいのかというと、一目見たら誰もが忘れないであろうギラギラ美男のアラン・ドロンではなく、並容姿のマット・デイモンだろうなという気がします。

公開当時の来日インタビューでアンソニー・ミンゲラ監督が、日本でやたらとアラン・ドロン版に絡めた質問ばかりされ驚いたと語ったと何かで読みました。ある一定の年齢以上の日本人にとってアラン・ドロンは永らく西洋美男の代名詞で、スター扱いは何なら本国フランス以上だそうなので、英国人ミンゲラ監督にとってはゆえ知らぬ「私たちのドロン様版と全然ちがうのは何故!?」的な不満がぶつけられたものと推測します。私もTVの洋画劇場で何度も観たアラン・ドロン版に強い印象があった一人ですが、見比べると、アラン・ドロン版は美男スター主演ありきの青春犯罪活劇という感じで、クライムサスペンスとしては本作が断然上だと思います。

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